10km 2016年12月30日
2週間ぶりの散歩でした。体がなまってゴールの熱田神宮までたどり着けませんでした。
途中自転車に乗ったお坊さんに出会いました。さすが師走。
明日には熱田神宮まで行って今年の最後を締めくくりたいと思います。
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清須宿本陣googleMAPへ

清涼寺googleMAPへ
この付近は、尾張名所図会にも描かれている通り、美濃路清須宿の中心地で、鍵型の曲がり角には高札が立ち、「札の辻」と呼ばれた。津島への分岐を示す指差し道標が最近まで残っていた。
常夜灯も寺入口にあった。山門上層の鐘楼堂には、1712年以来、宿内に時を告げた時鐘が今も残っている。
清州越し以後の清州になくてはならない存在となっている。

瑞正寺googleMAPへ
徳川時代、この付近に断罪の仕置場(今でいう処刑場)があった。たまたま熱心な法華経の信者、若松庄九郎・熊野屋弥兵衛の両名は悪業の因縁によって悲しくも死刑に処せられて命終した人たちを憐み、この人達を佛陀(ぶった・インドの神様)の大慈悲に俗せしめて永却流転(えいごうるてん)の苦悩を救ってやりたいと宝塔建立を発願(ほつがん)した。時に文化五年であった。伊豆小松原より大石を切り出し、八年の辛苦を経て文化十二年に完成した。当時断罪の時使用の刀鎌を洗う為「鎌洗の池」という小池があった。それを題目書写の石を以って没し、平地としたのが此の辺り一帯である。宝塔はこの「鎌洗の池」の真上に建立されたのである。以来、死刑場に牽かれた罪人いずれも宝塔を拝んで懺悔合唱し佛(ほとけ)の善光に救われていたと云う。

清音寺googleMAPへ
その後この地を琵琶島と名付け、娘の菩提を弔うためこの寺を建立した。寺号の清音寺は娘の法号清音院からとられている。

白山神社googleMAPへ
白山神社について、「尾張名所図会」は、「社内に榎木一株あり。是即白山の神木なれば、榎木権現の称にゝ起こる。」と記している。神社の西側を流れていた笈瀬川に権現橋という石橋があった。現在、川も橋もないが、かつての橋の欄干は、白山神社の垣根の一部として使われている。

五条橋googleMAPへ
擬宝珠(ぎぼし)には「慶長七年」(1602年)と刻まれています。堀川の開削は慶長15年(1610年)ですから、8年前に清須で作られたものが運ばれてきたということがわかります。現在は複製されたものが取り付けてあり、本物の擬宝珠は名古屋城に展示されています。