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美濃路4 萩原~清洲

12km 2016年12月17日

家を出るときは寒かった。歩いていると陽も差してきて丁度良かった。
土日散歩すると翌日から疲れが残るので、天気のいい日どちらか1日を散歩に出かけることにしました。
清州は、とにかくお寺が多い。信長ゆかりの地だから?
いよいよ美濃路も最後のゴール熱田神宮を残すのみとなりました。
年末でもあり、来週の熱田神宮で1年の締めくくりとしますか。

☟タイムラプス動画です。

【下記の写真は、クリックで拡大】

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興化山 長光寺googleMAPへ

仁寿元年(851年)小野篁が陸奥の国に下る途中、この辺りに駐杖した際、路傍に地蔵像を安置したのが始まりと伝わる。1161年、尾張守であった平頼盛が病気平癒のお礼に六角堂を寄進した。1338年に尊氏が将軍宣下を受けると、山門などを奉納して再興している。その後、織田氏・徳川家康・尾張徳川家によって庇護された。

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長光寺 六角円堂googleMAPへ

1336年、足利尊氏が戦のため上洛する際に太刀を奉納して武運を祈願し、勝利したお礼に六角堂を祈願所として定めた。
若かりし日の織田信長の遊び場であり、六角堂で後に清洲城城代となる埴原常安と出会っている。境内奥には、信長愛飲の臥松水と呼ばれる井戸があり、茶の湯や膳にその水を汲んだと伝わる。

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白峰山 亀翁寺googleMAPへ

後小松天皇のころ(14世紀末から15世紀初め)の創建で、享保十七年(1732)まで亀翁寺と称したが、寺号を春日井郡下原新田の薬師堂に譲り、虚空蔵堂と称した。昭和十七年(1942)旧号に復した。

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総見院googleMAPへ

織田信雄(のぶかつ)が父・信長を弔うために伊勢国桑名郡の安国寺を引き取り、忠嶽和尚を開山に迎え天正十一年(1583)に現在の地に「景陽山総見寺」を建立した。しかし、慶長十五年(1610)「清須越し」によって名古屋大須に移る。
本能寺の変直後に、信雄が探し当てたという信長着用焼兜が保存されている。

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光遠寺googleMAPへ

慶長17年(1612年)、徳川家康による「清洲越し」の命により、清洲にあった全ての日蓮宗寺院は現在の名古屋市内へと移された。
 当山はその40年後、承応元年(1652年)4月5日、開山上人である慈雲院日昇上人により、清洲地区で唯一の日蓮宗寺院として建立された。開基檀越の知多城主高津文左衛門が清洲に隠棲し、子の光遠の菩提の為、屋敷を寺とし名古屋聖運寺の日昇上人を迎えたことに始まる。当山2世にあたる中興心性院日布上人は多勢の武士を檀家講中として寺格を整える。

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