2021年9月27・28日
前回、予定していた頃に台風が近づいてきたので、今回もまたか!と慌てて旅立ちました。ようやく今月で緊急事態宣言・まん延防止等重点措置が解除になるので、来月からは堂々と歩けます。実は長野県・山梨県は対象外だったので、夕食もお店でビール・日本酒が堪能でき良かったです。
今回も相変わらず街道と駅の高低差がとんでもなくあり、2日間往復はとても辛いので、2日目は駅からタクシーを拾い街道まで出ました。タクシーもバスもなかなか見つからないので、思った以上に辛いです。
【下記の写真は、クリックで拡大できます。】
1日目 蔦木宿⇒教来石宿

「桝形道路」碑googleMAPへ
蔦木宿は、甲州街道(道中)の宿駅として、慶長十六年(一六一一)ころつくられた。
この宿駅は、新しい土地に計画されたので、まれにみる完備した形態となっている。
桝形路は、南北の入口に設けられ、以来、宿内への外からの見通しを遮り、侵入者の直進を妨げて、安全防備の役割をはたしてきた。
平成三年度の道路改良工事のために、南の桝形路を移動したので、その原形を碑面に刻し、これをのこす。【碑文より】

蔦木宿の由来googleMAPへ
甲州街道は江戸を起点とする五街道の一つ慶長五年(一六一〇)江戸の日本橋から信州下諏訪まで凡五六里(約二一九K)の路程として完成された、道中には四十五ヶ所の宿があり、
蔦木宿は四三番目(四十五里三〇丁)
梅柿の並木、昔と今そして浪漫の宿。蔦木宿の上と下に枡形道路があり街道を開設した幕府の目的は軍事性にあったと思料される。
中仙道との文化の交流にも貢献されている。
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【立て看板より】

稲刈りの風景googleMAPへ

三つ辻柳googleMAPへ
川路下りょか逸見路にしよか
いっそ蔦屋に泊まろうか
ささ泊まろうか
ここが思案の三つ辻柳
蔦木日暮れて道三里
さってもとうしょう道三里
下蔦木小唄の一節です。ここに詠われた三つ辻柳のモデルとなったしだれ柳の古木が甲州街道の此処堂坂の登り口にありました。
・・・【案内板より】

いよいよ山梨県googleMAPへ

西番所跡西番所跡googleMAPへ
天保7年8月百姓一揆時に開門、その責任をとり名取慶助は若尾に改姓、明治4年廃藩により廃止
【碑文より】
天保騒動(てんぽうそうどう)は、江戸時代後期の天保7年(1836年)8月に甲斐国で起こった百姓一揆。甲斐東部の郡内地方(都留郡)から発生し、国中地方へ波及し一国規模の騒動となった。別称に郡内騒動、甲斐一国騒動、甲州騒動【ウィキペディアより】

小淵沢駅から見た富士山googleMAPへ
2日目 台ケ原宿

蕎麦畑googleMAPへ

荒尾神社と田中神社googleMAPへ
甲斐国誌に「荒キ尾白川ニ臨ムノ意ニテ荒尾ト名付クト云」とあり、 尾白川の氾濫などから村人が、台ヶ原などに移り住むようになり、 明治四十三年に台ヶ原田中神社境内に境内神社末社を合祀、大正三年四月五日その境内に遷都した。
田中神社は、祭神は大己貴命と媛太神で、安産の神として近郷に知られていた。
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【案内板より】

台ケ原宿碑googleMAPへ

台ケ原宿 古道 西口googleMAPへ

無銘の巨塔googleMAPへ
明治14年(1881)、日蓮上人の600年遠忌に五穀豊穣と国家安泰を祈念し、見法寺(長坂町日野)に碑を建てて「南無妙法蓮華経」と刻む予定でしたが、どうしてもこの巨石を牽いて釜無川を越えることができなかったそうです。
巨石は長年放置されたままでしたが、最近になって無銘のままこの地に建てられたとのこと。
【歴旅こむHPより】

台ケ原宿 古道 東口googleMAPへ
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