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東海道18 磐田⇒愛野

14km 2017年8月11日
途中、小雨が降り出しシャワーを浴びているようで気持ち良かったです。

☟タイムラプス動画です。

【下記の写真は、クリックで拡大】

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府八幡宮googleMAPへ

府八幡宮は、天平年間(729~748年)に遠江国司(現在の知事にあたる)であった天武天皇の曽孫桜井王(さくらいおう)が、遠江国府の守護として赴任された時、遠江国内がよく治まるようにと府内に奉られたのが、始まりです。
 遠江国府は、最初に現在の二之宮・御殿地区に勧請(かんじょう)され、その後、見附地区に移転されるまでの間、一時、府八幡宮内に置かれていた、と伝えられています。
 寛永12年(1635年)に建立された楼門(ろうもん)は静岡県の文化財に、中門・本殿・拝殿および 幣殿は市の文化財に指定されています。境内の建物の多くは、江戸時代に建造されたものです。
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淡海國玉神社googleMAPへ

奈良時代の聖武天皇(在位724年~749年)のころ、「桜井王」という皇子(聖武天皇の曾孫といわれている)が、遠江国の国司となって国府(国の役所)に着任しました。
王は、地域全体の平安を願って「府八幡宮」を建立しました。国府のあるところの八幡宮であるから、「国府八幡宮」ともいわれてきましたが、今は「府八幡宮」が正式名称です。地元の人たちは、親しさをこめて“八幡さま”あるいは“中泉の八幡さま”とも呼んでいます。
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行人坂googleMAPへ

行人坂:愛に月待日待の山伏勧進せしゆゑにかくはいへり、・・・
『ここには行人(山伏)が多く住んでいて村のまつりごとや社会奉仕に携わっていたので、この坂を行人坂 と言うようになった。この資料は井原西鶴 が晩年に執筆し、元禄の初めに発行され度々再販された「一目玉鉾」の見付の処に書かれた文です。東京目黒の行人坂は有名ですが、時代的にはここの坂の方が早くから有ったようです。この坂 は急勾配で、江戸時代の見付東坂と同じくらい急でした。
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許禰神社googleMAPへ

創建の年代は明らかでないが延喜式に記されている古社で明治6年に浜松県官吏より三倉郷14村と熊切郷の郷社に定められ現在は三倉地区の氏子にて祀られている。
大正4年に木根棚指村から現在地に遷座し三倉蛭子神社を合祀し大正11年に黒田八
幡神社・中村西宮神社・大府川神明神社・西ヶ峯金山神社を平成15年に曲尾八坂神
社を平成21年に舟場八坂神社を合祀し現在に至る。徳川家康公から拝受したと伝えられる「天下和平不生禍亂」の短冊が祀られ境内にはこれを写した御遷座100周年の記念石碑が建立されている。
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徳川家康公腰掛石googleMAPへ

関ヶ原の戦 の勝利祈願のため当社を訪れた折、腰かけた石と言われています。
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従是 袋井宿googleMAPへ

旧東海道の宿場で、東海道五十三次の宿場の数では江戸から数えても京から数えても27番目で中間点にあたる。
袋井宿は徳川幕府が宿駅制度を定めてから15年遅い1616(元和2)年にできた宿である。その理由は通常宿間の距離は平均2里あまりであったのが、掛川と見付宿間は4里に近かったため、間に袋井が設けられた。袋井宿の町並みは約570mしかなく、東海道宿でもっとも短かった。
袋井宿はまた遠州三山が有名で、法多山尊永寺は遠州高野山と言われる古い寺院で厄除けで知られている。万松山可睡斎は日本唯一の火坊霊場であり、医王山油山寺は眼病治療で有名であった。

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