logo_kaidousanpo

東海道17 浜松⇒磐田

15km 2017年8月6日
朝5時に多治見駅改札で青春18きっぷ提示したら・「行ってらっしゃい。」と駅員に声掛けられて気持ち良かった。57歳のオジサンが青春18きっぷを使うことに少し気が引けていたから、尚更嬉しかった。
気を良くしてたら、列車内で熟睡、金山で乗り換え予定が寝過ごして、名古屋駅まで。浜松行きの津風に乗り換えて、又も熟睡し、途中寝ぼけて起きて慌てて降りたら蒲郡駅。浜松まで寝て行けたのに・・・。よって予定より1時時間遅れて浜松駅に到着。
1時間のずれなのか、とても暑く感じられきつかった。ただただゴールの生ビールを楽しみに平すら歩きました。
ゴールの磐田駅近くの寿司屋で昼食。生大無かったので生中を2杯。最高~!

☟タイムラプス動画です。

【下記の写真は、クリックで拡大】

kaneharameizenn

金原明善翁生家googleMAPへ

金原明善は度々大洪水を引き起こしていた天竜川の治水事業に生涯をかけて取り組んだ。また、県議会議員として地域のために働くとともに、和田小学校の前身である安間学校を創立した。
syourinji

松林寺googleMAPへ

薬師如来を祀る薬師堂は、徳川家光の命で建立された。代々の将軍自ら信仰し、御朱印を授け遠州一円の住民の安全と無病息災を祈願した。元禄時代の建築であり、屋根には雌雄の鬼の顔をした瓦が乗せられ四方を凝視している。徳川家康の寅年にちなんで寅薬師とも言われ、寅年に御開帳する。
ご本尊の地蔵菩薩は木造で、行基の作と伝えられている。
rokusyojinjya

六所神社googleMAPへ

かつて社殿は西向きに天竜川を背にして建てられていた。西向きの神社は珍しく中野町を見守る鎮守の意味があるのではないかと言われていた。現在の社殿は天竜川堤防の改修により境内が狭くなり、南向きに建っている。
tenryuugawa

天竜川橋紀功碑googleMAPへ

赤石山脈・木曽山脈という日本の屋根に挟まれながら流れる天竜川水系は、その急峻な地形ゆえに古来より水害に悩まされた。古くは701年に天竜川最古の水害記録が残される。特に伊那谷の出口に当たる天竜峡付近は川幅が急激に狭隘となることから、伊那谷は特に洪水の被害が顕著であった。天竜川最大の洪水は1715年の「未(ひつじ)満水」と呼ばれる洪水で、伊那谷はあたかも湖水のようなありさまだったと記録に残されている。これに対し、流域の住民は様々な方法で水害に対処していた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


%d人のブロガーが「いいね」をつけました。