18km 2017年5月7日
ゴールデンウィーク最終日に行って来ました。
街道散歩を初めて半年が経ちました。ここまで続くとは正直思ってみませんでした。
京都まで、あと24kmです。今月中には辿り着きたいですね。
☟タイムラプス動画です。
【下記の写真は、クリックで拡大】
大沙川隧道の上に根を生やしているのが、樹高約26m、樹齢約750年、地元では「弘法杉」と呼ばれている大杉。その昔、弘法大師がここを通りかかった際に、この場所で食事をとり、その時使った杉箸を刺したところ、成長してこのような大杉になったという言い伝えからこの名がつけられました。過去には2本並んで立っていたことから二本杉ともいわれましたが、現在は1本だけが残りました。悠然と立つその姿は、街道を行く旅人たちを見守っているかのようです。
家棟川隧道は明治19(1886)年に完成、家棟川の掘り下げにより昭和54(1979)年に撤去され跡地には家棟川橋が架かっています。この時、明治22(1889)年に開通した草津線の家棟川トンネルも撤去されました。
隧道とはトンネルの正式名称のことです。
草津宿と石部宿の間には、目川立場と梅の木立場が置かれ、往来の旅人に休憩の場を提供した。草津追分から旧東海道を江戸方へ向かって約2km、栗東市岡から目川にかけての滋賀県道(旧東海道)沿いが旧目川立場。かつては京伊勢屋や古じ(志に濁点)ま屋、元伊勢屋といった茶屋が並び、地元食材を使った菜飯や豆腐に味噌を塗り焼いた田楽を旅人に出し評判を得ていた。浮世絵師歌川広重は東海道五十三次・石部「目川ノ里」で目川立場にあった茶屋の様子を描いている。
「目川立場 田楽茶屋 元伊勢屋跡」…東海道を往来する旅人の休憩所として江戸幕府によって立場茶屋が置かれた。ここで供された食事は地元産の食材を使った菜飯と田楽で独特の風味を有し東海道の名物となった。