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東海道2 富田~日永追分

11km 2007年2月12日

今日は寒かったです。
東海道はここでお休み。次回はいよいよ伊勢街道です。
日永の追分から左に入ります。伊勢神宮まで約74km。2017年3月までに到着予定です。

☟タイムラプス動画です。

【下記の写真は、クリックで拡大】

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光明山常照寺googleMAPへ

1538(天文7)年に天台宗のお寺として開山、寛文年間(1661~1673年)に浄土真宗に転派したようです。現在の本堂は、1909(明治42)年に再建されたそうです。

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茂福神社googleMAPへ

創祀は永禄一〇年(一五六七)以前と考えられる。明治二八年四月茂福神社と改称されるまでは天王社と称された。明治四二年に島出神社に合祀されたが、昭和二五年に至り島出神社より分祀、設立され現在に至る。

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かわらずの松googleMAPへ

この松は、樹齢約二百年で江戸時代より東海道 を行き交う旅人を見守っていたことだろう。
 昭和十三年国道一号線が出来るまでは、幹線道路として往来が激しく賑わった道路であった。
 戦前は、この付近の東海道沿いには多くの松が植えられていて、松並木の風景が見られたが、戦後経済の発展に伴い道路の拡幅と松くい虫の被害を受けて東海道の松並木が姿を消した。現在四日市市では往時の松が残っているのは、日永地区と羽津地区の二本だけになった。
 そこで、羽津地区の松を、昔からこの付近の町名が川原須(かわらず)と言われていたので、この松も昔の町名から「かわらずの松」と命名し、いつまでも愛護していきたい。
平成十九年六月吉日 羽津地区 八田第二自治会 かわらずの松保存会 

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日永神社googleMAPへ

日永神社は、昔は南神明社と呼ばれていました。明治40(1907)年以降日永神社というようになりました。建仁年間(1201-1204)頃に創建されたといわれています。天正年間(1573-1592)に織田信長の伊勢侵攻の際、焼失しました。その後再建され、江戸時代には神戸藩主本多氏の崇敬厚く、神社はさかえました。明治40年11月岡山白髭社、日吉神社、追分神明社の3社を、明治41年1月に池鯉鮒、山神、天満、事比羅、土大神の5社を、明治44年9月に稲荷社を合祀しました。
 祭神は、天照大神、天手力男神、栲幡千々姫神、大山咋命、猿田彦命、波邇夜須比売命、菅原道真、大物主神、大山津見神、道反之大神、宇迦之御魂神です。

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日永追分googleMAPへ

東海道と伊勢街道の分岐点(追分)。現在は国道1号線の追分交差点となっている。
東海道五十三次の四日市宿と石薬師宿の間の宿でもあり、旅籠や茶店があった。 三重県指定記念物(史跡)となっている(1938年指定)。
伊勢神宮二の鳥居:安永3年(1774年)の建立以来、伊勢神宮式年遷宮毎に神宮の古材を使って建て替えられる。
常夜燈:安永3年(1774)建立。
道標:嘉永2年(1849年)建立。「左いせ参宮道」「右京大坂道」「すぐ江戸道」とある。
旧道標:明暦2年(1656年)建立。日永神社に移転。「京」「山田」「南無阿弥陀仏 恵心」とある。

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