16km 2017年10月1日
天気が良かったので、富士山の全景を期待していましたが、
相変わらず山頂付近に雲。
でも、昼食で寄った「やまと」の大将の話では、「箱根からの富士山が一番良い」とのこと。
箱根越えを楽しみにしています。
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毘沙門天googleMAPへ
戦国時代に武田氏の東海道進出の砦となり、又これを受けて徳川頼宣公 (徳川家康側室お万様の御長子即ち徳川御三家紀州公)が長く駐留されたこともあいまって 「出世本懐の地」と呼ばれています。
主神毘沙門天像は聖徳太子の御親作と伝わり「太子両肩上湧現の尊像」と言って聖徳太子の肩の上に立たれた像で 実に珍しい様式です。
普通の像が悪鬼をふんまえているのに対し、この像は聖徳太子すなわち我々人間の上に毘沙門天王が立って常に 護ってくださるという開運の「守護神像」であります。

田子の浦googleMAPへ
「田子の浦」の名は、万葉集に納められた山部赤人の以下の和歌に登場することで有名である。
田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける(読み下し文)
万葉集では「田兒之浦」と表記され、また『続日本紀』では多胡浦とある。これらの事実から、田子の浦は以下の2つの意味がある。
1.万葉集を代表とする古史料に見られる「田子の浦」
2.現在の静岡県富士市の「田子の浦港付近」
古来の田子の浦は、静岡県静岡市清水区の薩埵峠の麓から倉澤・由比・蒲原あたりまでの海岸を指す。例えば『続日本紀』には「廬原郡多胡浦浜」とあり、古来の田子の浦が庵原郡に存在していたことが示されている。富士市の田子の浦港付近と混同されやすいことから、「山部赤人の歌の田子の浦は蒲原付近である」とあえて明記する例も多い。富士市の現在の田子の浦港付近と必ずしも一致しないという実情は、地元の郷土会などでも認識されている。

今川焼自動販売機googleMAPへ
江戸時代中期の安永年間、江戸市内の名主今川善右衛門が架橋した今川橋付近の店で、桶狭間合戦にもじり「今川焼き」として宣伝・発売し評判となったため、一般名詞化して広がったとする説がある。
現在の静岡県中部にあたる駿河国などを治めた守護大名・戦国大名、今川氏の家紋である二つ引両(引両紋)を由来とする説がある。