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東海道 24 由比⇒富士

14km 2017年9月23日
先週の3連休は、残念なことに台風接近で中止せざるを得ませんでした。
今回、富士山撮影のために一眼レフ(ミラーレス)を持参。
雲が去るまで待ってましたが、待ち切れず諦めました。
シャッターチャンスは「一期一会」だな~と痛感しました。

☟タイムラプス動画です。

【下記の写真は、クリックで拡大】

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西木戸・茄子屋の辻 案内googleMAPへ

蒲原宿(かんばらじゅく)の西の入り口には木戸(きど)があり、「西木戸(にしきど)」と呼ばれていました。
 もともと宿場(しゅくば)は、西木戸より南側の古屋敷(ふるやしき)と呼ばれている所に広がっていましたが、元禄(げんろく)十二年(一六九九)の大津波(おおつなみ)によって壊滅的(かいめつてき)な被害を受け、蒲原御殿(かんばらごてん)があったとされる現在の地に移動しました。
 この西木戸の近くに青木(あおき)の茶屋(ちゃや)(茄子屋(なすや))があり、「茄子屋の辻(つじ)で乱闘がおこりました。
 承応(しょうおう)二年(一六五三)、高松藩の槍の名人大久保甚太夫(おおくぼじんだゆう)らが江戸へ行く途中、薩摩藩(さつまはん)の大名行列(だいみょうぎょうれつ)と出会い、槍(やり)の穂先(ほさき)が相手の槍と触れたことで口論(こうろん)になり茄子屋で薩摩藩の大名行列と乱闘が始まり、七十人近くを倒しました。しかし、最後に追(お)っ手(て)に見つかり殺されてしまいました。
 当時の龍雲寺住職(りゅううんじじゅうしょく)が墓地(ぼち)に葬(ほうむ)り、供養(くよう)しました。甚太夫の槍の穂先は、現在寺宝(じほう)として、保存されています。
静岡市
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富士川橋からの富士山googleMAPへ

富士川が記録に登場するのは古く、奈良時代に編まれた万葉集第三巻 三一九の富士山を称えた長歌(高橋虫麻呂の作ともいわれる)に、富士川の名がみえる。長歌には、「富士川と人の渡るも その山(富士山)の水のたぎちぞ」という一節がある。
富士川の戦い
1180年に源頼朝と平維盛が戦った合戦。治承・寿永の乱と呼ばれる一連の戦役の1つである。
石橋山の戦いで敗れた源頼朝は安房国で再挙し、進軍しながら東国武士がこれに参集して大軍に膨れ上がり鎌倉に入る。頼朝は駿河国で、都から派遣された平維盛率いる追討軍と戦い勝利し、関東での割拠を確立させた。
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水神神社googleMAPへ

正保三年(1646年)創建。堤防工事の完成を願って富士川の西岸、岩淵村に水神の社殿を建立。大洪水により川の流れが変わり、現在は富士川の東岸へ。水神の森に川の流れや堤防など、富士川を守る水神として祀られている。

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