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東海道 19 愛野⇒掛川

9km 2017年8月12日
霧雨の中のスタートでした。
2日連続はやはりきついので、今日は短めです。
青春18きっぷが使える間にできるだけ足を延ばそうと強行軍を決めてましたが、
「東海道を楽しもう」の初心に戻って、無理せず楽しめる範囲で散歩することにしました。

☟タイムラプス動画です。

【下記の写真は、クリックで拡大】

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富士浅間宮赤鳥居googleMAPへ

東海道分間延絵図にもその姿が描かれ、天正十八年(1590)に地頭の本間源三郎重泰が建立し、寛永十五年に北条氏重が現在の地へ移築した富士浅間宮(ふじせんげんぐう)本殿(国指定重要文化財)への参道の入口に建っています。現在は鳥居と社殿までの間に国道や東名高速道路が通り、周辺には多くの工場が立ち並んでいますが、江戸時代には赤鳥居から木々の間に社殿を見通すことができたようです。
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間の宿原川googleMAPへ

宿と宿の間の街道に沿った小集落を間の宿とよびます。間の宿では、旅人の休息の場を提供することはできますが、旅籠すなわち宿泊業を営むことは許可されていませんでした。
 原川は、掛川宿 まで一里一八町(約六km)、袋井宿 まで三三町(約三・六km)の位置にあり、戸数は、文化・文政年間に編纂された「掛川誌稿」には四六軒という記録があります。原川には、原川薬師と呼ばれていた金西寺阿弥陀仏、その薬師に供える薬師餅を売る茶店、酒屋などが軒を連ね、街道を行き交う旅人で賑わいました。
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仲道寺(善光寺)googleMAPへ

享保十八年(一七三三)に市内高御所の正法寺から和尚を招き、善光寺境内に堂を建立して、夏涼山仲道寺と号したことに始まります。
 善光寺の沿革ははっきりしませんが、江戸時代の終わりごろには、寺の阿弥陀堂に祀られている阿弥陀仏は、平安時代の初めに活躍した武将、坂上田村麻呂 の守り本尊と言い伝えられていました。
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大池橋と秋葉街道googleMAPへ

当時の大池は東海道から秋葉街道が分岐する要所でした。
江戸時代に歌川広重の「東海道掛川」は、大池橋の西側たもとから観た風景を描いたものといわれます。橋の手前に木造の常夜燈があり、橋を渡る旅の僧や子供、遠くの農民や空に上がる凧によって当時の庶民の暮らしを写しだしています。

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