15km 2017年1月9日
昨日の雨は嘘のように晴れわたった空の下、名古屋市を離れ大治町・あま市・津島市へ入ると何故か楽しくなり、田園風景が自分にはしっくりきていることを実感させられました。
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万場の渡し 秋葉神社googleMAPへ
万場宿には本陣と問屋とを兼ねた家もあって、やや宿場としての体裁をたもっていたが、一ヶ月のうち上十五日は万場宿でつとめ、下十五日は岩塚宿でつとめる慣行で、万場の渡しは万場宿が管理していた。渡しの痕跡として秋葉社の南に常夜灯が残っている。

国宝神社 八剱社相殿googleMAPへ
明治元年(1868)八剱社を合祀。同年明治天皇が東幸の際、勅使より奉幣を享ける。同五年近隣八か村の郷社に、同四十年より神饌幣帛料の供進指定社となる。

光圓寺googleMAPへ

神守の一里塚googleMAPへ
北側は今でもこんもりとした小山になっていて、その上に大きなムクの木が茂っている。南側は民家の庭になっていて、通りからは、その跡が見られない。
明治時代には人力車の置き場があって、近くの人達が時々使っていたとのことである。当時の塚の大きさは北側の塚が東西7.3メートル、南北6.7メートル、高さ1.5メートルの楕円形の小山、南側の塚は長径5.5メートル、短径4メートル、高さ1.4メートルの小山であった。

旧日光橋 欄干googleMAPへ
また、この佐屋街道は、大坂の陣(1615年)の徳川家康公の通行路であり、徳川三代将軍家光公の上洛の道で、東海道の七里の渡しに代わる陸路として、整備された。