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佐屋街道1 熱田神宮⇒岩塚

8km 2017年1月7日

2017年は、熱田神宮からスタートです。
この街道から東海道を経由して伊勢路に入り、伊勢神宮を目指します。

☟タイムラプス動画です。

【下記の写真は、クリックで拡大】

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誓願寺googleMAPへ

享禄2年(1529年)、熱田神宮大宮司藤原氏の別邸跡に、吉野城 (尾張国)の吉野右馬允の妻でもある善光上人(日秀妙光)尼が、織田信秀の援助を得て創建した。平安時代末期、源義朝の正室となった藤原季範の娘由良御前は身ごもって熱田の実家に帰り、この別邸で頼朝を生んだといわれる。尾張名所図会には誓願寺の隣にきよめ茶屋が描かれており、熱田神宮参拝者はここで身を清めた後、参拝に向かったという(現在は神宮境内に移転している)。このきよめ茶屋のあった位置に、平清盛へ幼い頼朝の助命を嘆願した池禅尼の「池殿屋敷」があったと伝えられている。天正18年(1590年)には豊臣秀吉の母大政所が参詣したと伝えられる。慶長5年(1600年)の火災で伽藍什物が焼失したが、豊臣秀頼の命で再建された。後に尾張藩が山門などを修理し、寺領も寄進され、代々の尾張藩により、信仰されてきた。また、松尾芭蕉も熱田神宮訪問の際、自ら言い出して熱田にある景清社と誓願寺に訪れたという。

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江戸時代、享和2年(1802年)に愛知県名古屋熱田の農夫長四郎の三女きの(喜之。きの女。)が開いた如来教の総本山。日本の宗教には珍しく「原罪」という概念を持つ。
教祖の説法を記録した「御経様」が経典となっていて、きのの説法の速記という性格上、名古屋弁そのままで記された特異な経典である。

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佐屋街道道標googleMAPへ

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尾頭橋/尾頭(地名由来)
尾頭橋「即ち、佐屋街道の往還橋なり、町の名を取りて如此唱(かくのごとくとな)へり」と尾張藩郷土資料「張州府志(ちょうしゅうふし)」に記述。
尾頭 現・牛立町にある尾頭山願興寺は尾張最古の寺で白鳳時代、世界遺産の奈良願興寺の分院として道場法師(どうじょうほうし)が古渡村に建立。
道場法師の生誕時、霊蛇が首筋にまきつき蛇の尾と頭が並んで後ろに倒れていた故事[日本霊異記に記述]より山号を尾頭山と命名したと伝わる。

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