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伊勢街道3 津⇒松阪

21km 2017年3月19日
三連休中の1泊2日の初日です。「松阪で牛肉食べるぞ!」を目標に、松阪のゴールを目指したところ21kmも歩いてしまいました。

☟タイムラプス動画です。

【下記の写真は、クリックで拡大】

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津観音googleMAPへ

正式な寺号は「恵日山観音寺」で、宗派は真言宗醍醐派。本尊は聖観音菩薩。浅草観音、大須観音と並んで日本三大観音の一つとされる。大門地区は、同寺の門前町から繁華街として発展した。三重県では専修寺に次いで2番目に参拝者数の多い寺院である。
本尊の他に崇敬を集めてきたのが「国府 阿弥陀如来」と呼ばれる三尊像である。秘仏であるが、毎月18日などに開帳される。江戸時代に江戸へ運んで出開帳を行ったことから広く知られるようになった。伊勢神宮の往復に立ち寄る参拝者が増え、「阿弥陀に詣(まい)らねば片参宮」と言われるようになった。

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地頭領町碑googleMAPへ

中世鎌倉幕府が全国の荘園や公領に設置した地頭という役職にかかわるものと考えられる。藤堂高虎は、城下町の復興にあたって伊勢参宮街道を城下に呼び込み宿場としたが、ここはその一部で、旅籠などが立ち並び繁栄した。

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市杵島姫神社googleMAPへ

主神厳島神は北畠家の守り神で、初代国司顕能が多気城に祀っていたのを、天正四年に北畠家からの依頼を受けた津岩田の清長院が、ご神体を預かり祀っていたのを万治三年、現在地に遷座した。その後地神として長く人々の崇敬を集めていたが、時代とともに荒廃が進むなか、心ある人たちの手で明治三十四年面目も新たに再建されたという。

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成就寺さる稚児桜googleMAPへ

成就寺は、信長の伊勢侵攻で、兵火にあい、寺勢が衰えたといわれる。
境内にある「西行法師ゆかりの木 さる稚児桜」は、昔、西行法師がお伊勢参りの旅の途中、垂水の成就寺に立ち寄った。その境内に一人の子供が遊んでいて、法師を見ると、するすると桜の木に登り、枝に腰掛けた。見事な木登りに「さるちごとみるより早く木にのぼり」と上の句を口ずさんだ。すると、子供が「犬の様なる法師来たれば」と下の句をつけて返した。このようなやり取りのあった桜は、「さる稚児桜」と呼ばれ成就寺の名木となった。今は、孫の木になって見事な花を咲かせている。(案内版より)

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雲出島貫の常夜灯googleMAPへ

伊勢街道の雲出島貫の宿は雲出川の渡しを控え、参宮客で賑わう宿であった。当時の絵図を見ると、街道の両側に民家や宿屋が建ち並び、水路があちこちで道を横切っており、中心部には本陣、その近くには高札場があった。堤防下の毘沙門堂の境内には「島貫の松」(県の天然記念物に指定されていたが、伊勢湾台風後に枯れた)があり、当時の旅人の目を和ませていた。
江戸時代には、柏屋・魚屋・紀の国屋・大和屋などの旅籠があり、昭和の初め頃までは、津屋・京屋・大阪屋などが残っていたが、参宮鉄道が敷設された頃から、宿の明かりは徐々に消え、今は、本陣跡に「史蹟 明治天皇島貫御小休所址」の碑と常夜燈がひっそりと残るのみである。
この常夜燈は、かつては渡し場口にあったもので、高さ4.6メートル、竿石には「奉献」、「天保五年甲午三月建」と刻まれている。明和8年(1771)、天保元年(1830)などに、おかげ参りが全国的に流行し、その旅人の安全や神宮への祈願のために多くの常夜燈が建てられた。
常夜燈は一般的には、夜道の安全を確保するために、一晩中、灯をともしておく燈火のことで、特に参宮道者のために建てられたものを「参宮常夜燈」という。この島貫の常夜燈もその一つで、当時の風情をしのばせている。(常夜燈横の解説板より)

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三井家 発祥の地 来遠の像googleMAPへ

来遠(ライオン)像は「歴史のご縁による株式会社三越伊勢丹ホールディングスと松阪市との連携協定書(平成26年9月締結)」に基づき、三井家と松阪市の歴史と未来をつなぐ象徴として松阪市の要請により寄贈いただいたもので「来遠(ライオン)像」と命名しました。
 三越のシンボルであるライオン像は、ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔下のライオン像をモデルとして鋳造されたもので、「願いをかなえてくれる像」として有名で、背にまたがると念願がかなうと言い伝えられています。

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