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伊勢街道2 白子⇒津

15km 2017年3月12日
2週間ぶりでした。先々週の1週間は、インフルエンザAに罹り38度越を2回出してダウン。その為なのか、その後の1週間はボ~としてました。久しぶりの散歩はきつかった。今月中に伊勢神宮まで辿り着けるのか?黄色信号点滅です。3連休は1泊2日で歩こうかな?

☟タイムラプス動画です。

【下記の写真は、クリックで拡大】

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高札場跡googleMAPへ

高札とは、禁令法令などを住人に周知させるため室町時代以降明治の初期まで、町の辻や村の中心地に高く掲示した板札で、桧材を用い、江戸自体は早行かなまじり文を書いた。この板札を掲示したところを高札場という。
高札は、幕府や諸藩で行われ、幕府の正札は正高札といい、キリシタン札、徒党札、人馬賃銭札、浦高札(海難救助用)など内容によってそれぞれの呼び名があった。この所は、江戸時代白子代官所が管内の行政、訴訟、警察(火盗改め)税務の執行に伴い。高札を公示(掲示)した所であった。

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旧阿藝役所跡googleMAPへ

明治時代になり、県政がしかれたのち、この地に明治26年(1893)4月18日白子町民の力で河芸郡役所が新築設置された。
この郡役所は、それから30年後の対象12年(1923)4月には、郡制の廃止に伴い役所の機能をなくした、その後は財務整理のため、しばらく団体事務所となったが、整理完了により、そのあとに家事裁判所が置かれた。「ところが、昭和28年(1953)7月夜、火災が発生し、建物が焼失したので裁判所は他に移り、後には敷地と松だけが残り、その後現在の東町児童公園となった。

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目付役所跡googleMAPへ

目付役人は、政事や家臣の非違糾察、秩序維持を目的とする監察、つまり、代官以下庄屋ににいたるまでの人の素行、品行、身持ちを監視する役人で俸禄200石~250石、2年ほどで交代した。
この役所は、現在の白子2丁目19番地の地内にあって、敷地の規模は、敷地5反ほどで道路の西側で少し奥に入り、敷地の東北隅に東に向いて門があり、北側は兵が東西にあって馬部屋があり、敷地東、南、西の周りは竹藪の囲いで、役所は敷地中ほどに建坪50余坪で北向きに建てられていた。

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楳荘(ばいそう)翁碑googleMAPへ

この碑は、儒者別府梅荘翁の碑で、翁は文政10年(1827)河芸町上野村久知野生まれ。通称は別府四郎右衛門,寺家の住人で若きころから絵をよくし,生け花,煎茶にすぐれ,諱は正容,字は子寛,号は逢州狐荘閑人。 明治28年(1895)京都にて病没,享年69歳。明治29年(1896)12月,門人・山中権十良,山中為次郎,片山清吉らによって,この碑が建てられた。

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