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中山道9 加納宿⇒JR各務ヶ原駅

14.5km 2018年11月3日
今日も朝は寒いですが、スタート地点に着く頃には心地よい暖かさでした。加納宿から鵜沼宿まで17kmが走破できず残念。東海道の頃は結構16~18km歩いていたのに。でも続けることに意義あり!

☟タイムラプス動画です。

【下記の写真は、クリックで拡大】

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加納天満宮
1445年(文安2年):斎藤利永が沓井城を築城する。そのさい、城の守護神として天満宮を勧請する。別説では、1350年ころには創建されたという。
1538年(天文7年):沓井城が廃城となる。守護神であった天満宮は地元の人々により祀られ続けたという。
1601年(慶長6年):奥平信昌加納城の築城したさい、現在地に移転する。
かつて加納地区には9台の山車があったのだが、1台を除き太平洋戦争の戦災で焼失している。唯一残った山車「鞍馬車」は加納天満宮に保管され、岐阜市の有形重要民俗文化財に指定されている。
境内には、岐阜和傘を始めた松平光重をたたえる、「傘祖彰徳碑」がある。
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加納宿脇本陣跡
加納宿は、中山道53番目の宿場(中山道六十九次)で、現在の岐阜市中心部(岐阜駅より南側、旧稲葉郡加納町)に当たる。
付近一帯は古くより東海道に並ぶ主要街道である中山道の要衝として栄えてきた。
慶長6年(1601年)に徳川家康の命により岐阜城が廃城となり、代わりに加納城が築城され、宿場は城下町としての役割も兼ね発展をした。
中山道六十九次の中では、本庄宿(埼玉県本庄市)、高宮宿(滋賀県彦根市)、熊谷宿(埼玉県熊谷市)、高崎宿(群馬県高崎市)に次ぐ大宿である。
1861年に、皇女和宮親子内親王が宿泊している。ウィキペディアより
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皇女和宮の歌碑
仁孝天皇の皇女 和宮親子(ちかこ)内親王は将軍徳川家茂(いえもち)との結婚のため、文久元年(1861年)10月20日京都桂御所を出発、中山道を通行して江戸に向かわれた。
 同年10月26日当地加納本陣の松波藤右衛門宅(現在地)に宿泊された。その時、自分の心情を詠まれたという歌が伝えられている。
   遠ざかる都としれば旅衣一夜の宿も立ちうかりけり
 この歌は「宮内庁書陵部所蔵の静寛院宮御詠草」に収めらており和宮の直筆である。
私の旅日記~お気に入り写真館~HPより
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専福寺
創建は嘉禎元年(1235)、親鸞聖人が常陸の国から京都へ帰郷する際、三河の柳堂で河野通勝(入道専称坊)が教化を得て一宇を設けたのが始まりとされます。その後、各地へ移転を繰り替えしながら浄土真宗の布教を広げ、戦国時代には本寺である本願寺と共に織田信長と対立し、元亀3年(1572)当時の住職忍悟は石山合戦に参陣し討死しています。慶長9年(1604)、新加納村(各務原市)から竹ヶ鼻村(羽島市竹ヶ鼻下城)に遷り、時期は不詳ですが一寺が分派したのが当寺で、加納城の城下町建設に伴い現在地に境内を構えたと思われます。寺宝が多く織田信長朱印状・豊臣秀吉朱印状・池田輝政制札状が岐阜市指定重要文化財に指定されています。絹本著色阿弥陀如来像は明応7年(1498)に描かれたもので縦89.0cm、横34.5cm。宗派:真宗大谷派。本尊:阿弥陀如来。
岐阜県: 歴史・観光・見所HPより
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善徳寺
創建は不詳ですが嘉禎元年(1235)善徳寺に親鸞上人の教化を受けて浄土真宗に改宗したと云われています。当初は美濃国厚見郡革手村にあり法性坊と称していましたが、慶長7年(1602)に加納城が築城、城下町も整備された元和元年(1615)に現在地(東番所前)に境内を移し、寛文13年(1673)に現在の寺号である善徳寺に改称しています。現在の本堂は昭和3年(1928)の火災で焼失後、昭和9年(1934)に再建されたもので入母屋、桟瓦葺、正面向拝付き、桁行7間。
岐阜県: 歴史・観光・見所HPより
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細畑一里塚
徳川幕府は、当時の主要道であった中山道や東海道などの5街道に、里程標として一里(約3.9km)ごとに塚を築かせ、そこに榎などの木を植えさせました。 細畑の一里塚は慶長9年(1604年)に作られ、南北が対として残っており、中山道の風情を今に伝えています。
「日本歴史街道」美濃中山道連合・岐阜県HPより
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中山道ウルトラフリーウォーキング 案内
各所に貼ってありました。
中山道・木曽路ウルトラフリーウォーキングHPによると
120km、
開催日 2018年11月3日(土・祝)~4日(日)
受付  3日(土)午前9:00~9:45 集合場所 大垣駅前
スタート 大垣駅前 午前10:00
制限時間 33時間
どこかで会うのかなと思っていたけど、とうとう会えず残念。
凄い人達がいるもんだ。
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新加納宿
中山道の間の宿(休憩用の町場)の一つ。鵜沼宿と加納宿間に存在した。
現在の岐阜県各務原市那加新加納町に該当する。
関ヶ原の戦いで功績を挙げた坪内利定は、美濃国羽栗郡、各務郡20村、6,500石を治める大身旗本となり、拠点を松倉城から美濃国各務郡新加納村(現・岐阜県各務原市那加新加納町)に移し、新加納陣屋を築く。その後、中山道六十九次の鵜沼宿と加納宿間は、4里10町(約17km)あり、他の宿場に比べて距離が開きすぎたこともあり、新加納陣屋周辺が間の宿として発展し形成された宿場町が新加納宿である。
宿の入り口は枡形が設けられ、小規模ながら宿場の形を形成していた。
各務原台地の西端に位置し、宿場の西は坂となっている。
ウィキペディアより
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新加納立場跡
慶長五年(一六〇〇年)関ヶ原の戦いに勝利を収めた徳川家康は、全国的な封建支配体制の確立を目指し、主要な街道整備事業を行った。
 中山道は東海道の裏街道として京都と江戸を結ぶ幹線道路となり、全長百三十四里(約五三六㎞)の間に六十七の宿場が設けられた。
各務原市内には鵜沼宿が置かれていたが、鵜沼宿と加納宿の間は四里十町(約一七㎞)と距離が長いため立場(たてば)(建場茶屋)と呼ばれる小休所が、ここ新加納に設けられていた。
 皇女和宮の降嫁の際にも休息所とされた新加納は、正規の宿場ではないとは言え、長すぎる鵜沼宿と加納宿の、ちょうど中間に位置することや、小規模ながらも旗本・坪内氏の城下町な意義を持つことなどからも、中山道の「間の宿」として栄えていたのである。
平成二十五年度 新加納まちづくり会
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多治見まつり
帰りに地元「多治見まつり」に遭遇しました。毎年文化の日に市長が多治見国長公に扮した行列が出ます。今時市長や議長や区長が出る行列を誰がわざわざ観に出かけるのでしょか。いつまでも田舎は田舎ですね。
小学生の音楽隊は可愛いです。自分の息子が出初式のパレードに出たときにビデオ撮影に出かけたことを思い出しながら撮影しました。

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