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中山道11 JR坂祝駅⇒太田宿⇒伏見宿⇒御嶽宿

16.3km 2018年11月17日
3日前までは雨模様の天気予報だったので、半ばあきらめていましたが、天気は快晴で気持ち良かった。しかし、トレッキングシューズに履き替えたからか、残り5𝐾𝑚ぐらいから踵にまめができたようで、紅葉を楽しめる気分ではなくなってしまいました。少しは履き慣らしが必要だったかも。

☟タイムラプス動画です。

【下記の写真は、クリックで拡大】

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行幸巌(みゆきいわ)
昭和2年(1927)11月、昭和天皇がこの地を行幸されたおり、木曽川辺の大岩にお登りになられ、連なる奇岩・怪岩や岩に砕けて流れる清流、岸壁を彩る紅葉を御覧になられました。陛下がお登りになられた大岩を永久に記念するため、当時の岐阜県知事により「行幸巌」と命名され、国道沿いに記念碑が建てられました。
坂祝町HPより
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虚空蔵堂
美濃で生まれた文豪・坪内逍遥が幼少時代に遊び場として過ごした場所です。
「日本歴史街道」美濃中山道連合・岐阜県HPより
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「旧太田脇本陣林家住宅」
江戸時代に中山道51番目の宿場である太田宿の脇本陣として機能していました。創建年代は、主屋のうだつの鬼瓦に銘が記されていることから、明和6年(1769年)と判明しました。
林家は江戸中期、脇本陣を勤めるかたわら庄屋として尾張藩太田代官の指揮下で宿の行政事務を取り、また、家業として質屋や味噌・溜の製造販売も営んでいた旧家です。 最盛期には、東西25間の間口、土蔵9棟、馬屋3棟、離れ座敷などを持つ壮大な構えでした。
美濃加茂市民ミュージアムHPより
太田宿は。中山道69次の51番目の宿場、美濃十六宿の中央にある太田宿。太田宿には、中山道三大難所の一つに数えられた「太田の渡し」があり、尾張藩の代官所もあったことから、政治・経済・文化の中心地として栄えました。
中山道太田宿HPより
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祐泉寺
文明6年(1474年)、東陽英朝(大道真源禅師)が当地に涌泉庵という小庵を設けたのが始まりである。東陽英朝は滞在中霊夢により木曽川の底に観音菩薩が沈んでいることを知り、それを引き上げ本尊とした。後に近隣で大火が起きた際にこの観音像が祭ってある堂宇まで火が迫ると火勢が衰え鎮火したため、霊威ある観音像として滝場観音の異称がある。
ウィキペディアより
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伏見宿本陣跡
伏見宿は中山道50番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国可児郡伏見村(現・岐阜県可児郡御嵩町)に存在した。現在は岐阜県可児郡御嵩町。
木曽川の流れの変化などにより、渡し場の位置が上流へ移動された。それまでの土田宿は廃宿となり、1694年(元禄7年)上流に位置する伏見に宿が誕生した。
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鬼の首塚
現在の鬼岩公園の岩穴に住み着き、乱暴狼藉を極めた「関の太郎」という鬼がいました。 地頭・纐纈源吾盛康が市で鬼を捕らえ、見事首をはねましたが、その首を桶に入れて京へ運ぶ途中、急に動かなくなったため埋めた場所が、この「鬼の首塚」と伝えられています。
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御嶽宿(みたけじゅく)
中山道49番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国可児郡御嵩村[1](現・岐阜県可児郡御嵩町)に存在した。
願興寺の門前町として発達した。中山道制定当初からの宿場。
御嵩宿制札、御嵩宿問屋千木秤は、御嵩町指定重要文化財となっている。

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