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上街道(木曽街道)2 羽黒⇒牛山

約12km 2018年5月4日
街道散歩再開から2週間ぶりでした、折角のゴールデンウィークも前半体調崩してしまい残念。
今回12kmを楽勝かな?と思いきや、3時間かかりました。元の調子に戻れるかな?

☟タイムラプス動画です。

【下記の写真は、クリックで拡大】

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田縣神社googleMAPへ

祭神は御歳神と玉姫命で、五穀豊穣と子宝の神である。社伝によれば、当地は大荒田命の邸の一部で、邸内で五穀豊穣の神である御歳神を祀っていた。玉姫命は大荒田命の娘で、夫が亡くなった後に実家に帰り、父を助けて当地を開拓したので、その功を讃えて神として祀られるようになったという。
境内には、男根をかたどった石などが、多数祀られている。
創建の年代は不詳で、かなり古い神社である。古い土着信仰に基づく神社で、子宝と農業の信仰を結びつけた神社でもある。延喜式神名帳にある「尾張国丹羽郡 田縣神社」、貞治3年(1364年)の『尾張国内神名牒』にある「従三位上 田方天神」に比定されている。現在地は旧春日井郡なので、後に遷座したことになる。
なお「縣(あがた、けん)」と言う字は、「県」と言う字の旧字体(一部の辞書では、異体字としているものもある)である。そのため「田県神社(読みは同じ)」と表記する場合もある。
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小牧山城googleMAPへ

小牧山城(こまきやまじょう)は、日本の城。織田信長が美濃攻めの拠点として築城し、後の小牧・長久手の戦いでは、徳川家康の陣城となった。
濃尾平野の孤峰である小牧山に築城された城で、織田信長が美濃攻めを終えるまでの4年間しか使用されなかったため、急造の砦に近いものと想像されていたが、近年の発掘調査の結果で、城郭を取り巻く三重の石垣(三段の石垣で一番下の段は腰巻石垣)が発見された。そして城の南部の発掘調査では、小牧山築城によって移転してきた住民によって営まれた町割も発見され、戦時急造の城ではなく、清州城に代わる新たな拠点として築かれた城郭であることが判明した。現在は小牧山城が後に織豊系城郭と呼ばれる城郭体系の原点であるとされる。
南山麓から本丸のある頂上に向かう位置には防衛に不向きな大手道が設けられている。途中の中腹から折れのある道へと変化しており、後の安土城の縄張りとの類似性が指摘されている。

戒蔵院googleMAPへ

山号は高白山。小牧十観音第八番札所。元々は小牧山の南側にあったが、17世紀初頭の江戸時代に行なわれた上街道の整備に伴い、街とともに東に移転させられた(移転させられた先に整備された町は、小牧宿である。)。
kisidake

岸田家googleMAPへ

名古屋と中山道を結ぶ木曽街道(上街道)の旧小牧宿の下之町にあり、江戸時代には名字帯刀を許された旧家で、脇本陣としての役割を果たし、幕末には庄屋を務めた。このあたりは、文化の大火にも焼け残っており、近世中頃と推定される。
この家に伝わる弘化三年(1846)と安政三年(1856)の改造時の配置図と現状とを比較してみれば、附属舎は失われているが、母屋の平面には大差のないことが知れる。荒目の平格子や親子付の出格子、堂々とした屋根神の祠を残した外観も貴重な資料である。(小牧市教育委員会)

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