約16km 2018年4月22日
4か月の御無沙汰です。街道散歩再開しました。
いきなり16kmはきつかった。
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土田宿本陣跡(止善殿)googleMAPへ
東山道の名残として、土田→善師野→犬山という経路があったようだ。
また、初代尾張藩主徳川義直も土田宿本陣に宿泊し、この一館を「止善殿」と名付けた。
元禄七(1694)年、伏見淑の新設に伴い、土田宿は中山道の宿としての使命を終えている。以後の土田宿については「濃州徇行記」に次のように記されている。
「本郷は宿町、二組にて百戸ほどあり、近来漸々に衰耗せり、宝暦年の頃までは邦君木曽路へ御通行の時、御家中宿札打つべき家も数多ありて、御同勢の御問も合しが、今は頽れ家多出来、宿内に屋敷跡又は古井戸などのこれり」(可児市教育委員会)

可児川の鷺googleMAPへ
外観はコウノトリやツルに姿が似て、長い脚と嘴を持つが、大きさはコウノトリやツルより小さい。体色は多く灰色から白、黒のものもあり、また季節により体色が変わるものもある。サギのうち羽が白いダイサギ・チュウサギ・コサギ・アマサギ(アマサギは冬羽のみ)は白鷺(しらさぎ)と呼ぶことがある。
日本鳥類保護連盟の神崎高歩によると、サギ類は小魚やオタマジャクシなどを巣に運ぶときに、飛翔中に吐き出してしまうことがあるという。これらが路上などに散乱している光景は、水田付近に居住する人々にとってはごく普通の光景であるが、このような光景を初めて見る人にとっては非常に不思議なことであり、しばしば騒動になって新聞などで報道されることがある。
『吾妻鑑』建保3年(1215年)8月22日条、11月8日条には、「鷺の怪(け)に会った」と言う記述がある。13世紀初め、地震が多い時期と言う事もあって、関連付けられて記述されているが、どのような怪異であったかの記述はない。また、鷺の妖怪として、青鷺火がいる。

土田城址跡碑)googleMAPへ
その後、土田泰久の次男甚助が生駒家広の養子となっていたが、土田嫡流家断絶後、土田城主となった。
永禄8年、生駒親重は嫡子親正と共に織田信長に仕え、本領を安堵された。 その後、親正は戦功を重ねて讃岐一国を領して高松城を築き、本領の土田城は必然的に廃城となった。

大洞池googleMAPへ

木曽街道 善師野(ぜんじの)宿 案内googleMAPへ